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大阪地方裁判所 平成4年(行ウ)12号 判決

原告

竹村薫子

右訴訟代理人弁護士

斎藤浩

池田直樹

阪田健夫

斎藤ともよ

右訴訟復代理人弁護士

河原林昌樹

被告

大阪西労働基準監督署長安藤義道

右指定代理人

島田睦史

中川猪三男

山田勇

平山昭

弥氏絋一

中村忠正

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対し昭和六一年九月一〇日付けでした労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、いわゆる赤帽運送業を行い労災保険に特別加入していた竹村博春(以下「博春」という。)が死亡したのは、くも膜下出血によるもので、これは業務上の死亡であるとして、同人の妻である原告が、被告に対して労災保険給付を請求したが、被告から、労基法施行規則三五条に定める業務上の疾病に該当しないとの理由で右保険給付を支給しない旨の処分を受けたため、その取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  当事者及び処分の存在

博春は、昭和六〇年一一月二六日に死亡した(当時四五才。昭和一五年四月二〇日生)。博春の妻である原告は、被告に対し、労災保険法に基づく保険給付(遺族補償給付及び葬祭料)を請求したが、被告は、同年九月一〇日付けで、右保険給付を支給しない旨の処分をした。

原告は、右処分を受けて、大阪労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同審査官は、昭和六三年二月一五日付けで、右審査請求を棄却する旨の決定をした。そこで原告は、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、平成三年一一月二九日付けで、右再審査請求を棄却し、その裁決書は、同年一二月一二日、原告に到達した(到達日は、弁論の全趣旨により認める。)。

2  博春の職業及び労災保険への特別加入

博春は、昭和五五年、「赤帽竹村運送店」の名称で交野市の自宅を事務所として自己所有の軽貨物自動車を使用して運送業を始め、主として近畿二府四県で事業を行った。

博春は、自営業者であったが、労災保険法二七条三号の「労働省令で定める種類の事業を労働者を使用しないで行うことを常態とする者」(同法施行規則四六条の一七第一号参照)として労災保険に特別加入していた。

3  博春が死亡した経過及び死因

博春は、昭和六〇年一一月二五日、翌日搬送する予定の荷物を積み込んだ業務用軽貨物自動車を運転して帰宅する途中、気分が悪くなり、車を止めて休み、回復してから、午後八時ころ帰宅したが、降車の際に倒れた。家族に付き添われて星田南病院に運ばれたが、翌二六日午前四時三九分に死亡した。

死亡診断書では、直接死因は脳卒中とされている。

二  争点

博春の死亡は業務上のものか(死亡の業務起因性)。

1  労災保険への特別加入者の被った災害と業務災害として保護される業務の内容

(原告の主張)

労災保険に特別加入させる以上は、一見明らかに使用者的業務と判断される業務を除いて、対象業務は広く解釈することが法律の趣旨に沿うものである。昭和五〇年一一月一四日付け基発第六七一号労働省労働基準局長通達(以下「基発第六七一号」という。)はこのような基本的立場の上に立ってその基準を定めているものと解すべきである。基発第六七一号の基準によれば、対象業務と解すべき業務の範囲が必然的に不当に狭くなる場合には、基発第六七一号の基準自体が労災保険法の趣旨に合致せず、法規的性格を持たず、同法の趣旨から否定されなければならない。

(被告の主張)

特別加入制度は、事業主、自営業者等本来労災保険の対象にならない者について、その業務の実情、災害の発生状況等に照らして労働者に準じて保護するのにふさわしい者に対し、労災保険を適用しようとするものである。すなわち、特別加入者が行うすべての業務上の行為ではなく、労働者の業務上の行為に準ずる行為に限り業務遂行性を認め、その行為と疾病等の間に因果関係(業務起因性)が認められる場合に、業務上の疾病等として労災保険の対象とされるのである。

労災保険法は、特別加入者の災害の業務上外の認定は、労働基準局長の定める基準によって行うこととし(同法三一条、同法施行規則四六条の二六)、同局長は、軽車両等運送事業を行う特別加入者について、次の場合に限り業務遂行性を認める旨を定めている(基発第六七一号及び昭和五六年三月三一日付け基発第一九一号労働省労働基準局長通達〔以下「基発第一九一号」という。〕)。

イ 軽自動車を使用して行う軽車両等運送事業の範囲内において事業用自動車を運転する作業(運転補助作業を含む。)、貨物の積卸作業及びこれらに直接附帯する行為(生理的行為、反射的行為、準備・後始末行為、必要行為、合理的行為及び緊急業務行為をいう。)を行う場合

ロ 突発事故(台風、火災等)等による予定外の緊急の出勤途上

2  業務起因性について

(原告の主張)

後述のとおり、博春の死因となった疾病はくも膜下出血である。現在、持続的ないしは慢性的な過労やストレスは大脳に働き、一過性にあるいは持続的に血圧の上昇や変動、血流の乱流を招いて、その血圧内圧に上昇が起こり、くも膜下出血における動脈瘤の生成・破裂に大きく寄与するとの考え方はほぼ一般的となっている。

したがって、くも膜下出血(広くは脳血管疾患及び虚血性心疾患等)の業務起因性の判断に当たっては、対象とする労働を発症前一週間に限定する根拠はないし、業務は当該労働者にとって過重であれば足り、日常業務に比べて特に過重である必要もなく、当該労働者の業務が発病の原因であると医学的に証明される必要もなく、一切の事情を総合して法的に判断すれば足りる。すなわち、くも膜下出血は、病理学的に解明される疾病とは異なるから、相対的に有力な原因をもってその原因とするしかなく、過労が脳血管障害の大きな原因になっていることが医学文献などによって明らかにされておれば、これに基づき裁判所が法的判断を下すことができる。

被告は、昭和六二年一〇月二六日付け基発第六二〇号労働省労働基準局通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(以下「認定基準」という。)の考え方が、現在の最高の医学的知見を集大成したものなどと主張するが、最近のいくつかの裁判例、裁決例や認定基準見直しの動きは、認定基準が現実の社会で生起している事実に合わなくなっていることを示している。

(被告の主張)

(一) 業務起因性を認めるためには、業務と疾病等との間の条件関係を前提とした上で、両者の間に法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係、すなわち相当因果関係があることが必要である。業務上の事由のほかに有力な要因が認められる場合には、これらの要因に比較して、業務上の事由が質的に有力に作用したと認められた場合についてのみ、相当因果関係があるとみるべきである。

(二) 認定基準は、現在の最高の医学的知見を集大成したものであって、医学上の経験則に基づくものである。したがって、認定基準が定める場合に該当する場合には、当該業務はこれらの疾病を発症させる危険を有しており、発症はその現実化であり、当該業務が発症の相対的に有力な原因となったことが医学的根拠をもって肯定し得るし、逆に認定基準が定める場合に該当しない場合は、右の点を肯定し得るような医学的知見が確立していないということであるから、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の業務起因性の有無は認定基準に基づいて判断するのが妥当である。

業務起因性の有無を、認定基準を無視し、医学上の経験則をも無視して、「法的に」のみ判断すべきであるとする原告の主張は明らかに失当である。

(三) ストレスと脳血管疾患とのかかわり

ストレスと脳血管疾患とのかかわりについては、多くの人がその関与をある程度予想するものの、信頼に値する文献に乏しい。ストレスの影響が存在することはほとんどの人が容認するとはいえ、その寄与の程度について一般的結論は下し難い現状にある。過労をストレッサーとして慢性疲労が生じ、これにより恒常的な血圧上昇により脳動脈瘤が生じるとの原告の主張は、医学的には十分な根拠がないものである。

3  死因

(原告の主張)

博春の死因は、くも膜下出血である。その中でも、脳動脈瘤(嚢状脳動脈瘤)の破裂によるものと考えるのが医学上の経験則である。

(被告の主張)

本件では、剖検や髄液検査等、死因を医学的に特定するに足りる検査は行われておらず、医師の意見書にも、くも膜下出血であるとするもののほか、脳血管障害(脳卒中)であるか何らかの原因による急性循環不全(ショック症候群)であるか不明であるとするものもある。博春の死因は不明であり、くも膜下出血と特定することは困難である。

仮に、博春の死因がくも膜下出血であるとしても、原告の主張する特発性のくも膜下出血の原因となる疾患としては、脳動脈瘤破裂以外にも、脳動静脈奇形、脳腫瘍などがある。統計的には、脳動脈瘤破裂による場合が多いとはいえるものの、剖検がない以上、博春の死因が脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であるということは、右の程度の蓋然性でしかいうことができない。

4  博春の業務の実態

(原告の主張)

(一) 労働時間

博春は、早ければ午前六時、遅くとも午前八時には自宅を出て、通常、午後八時ころまで運転業務に従事していた。営業地域が大阪を中心とした都市部であるため、交通渋滞が多く、必然的に長時間労働が恒常化していた。

(二) 休日

休日は、通常日曜日だけであった。しかも伝票整理や営業拡張のため、日曜日も業務に従事することが多く、休日も結局は休めないことがほとんどであった。

(三) 運転業務の過重性

博春は、一日当たり約一八六キロメートルを運転走行していた。これは、タクシー労働者の約二割増の距離であり、また、小型貨物自動車の一日当たりの運輸成績(昭和六〇年度)の八割増である。

この著しく長い走行距離をこなす労働は、軽貨物自動車という労働環境の悪さ、精神的緊張の持続などの条件もあわせ、苛酷な悪影響を博春の身体に与え続けた。

(四) 重い筋肉労働

博春は、ときには一〇〇キログラム前後の資材を工事現場に搬入しなければならず、足場が悪い中で重筋労働を強いられることもしばしばあった。

(五) 厳しい競争

赤帽運送業務は、多くの同業者の中で、いかに早く、安く、依頼主の突然の注文にも迅速に対応するか、という点で厳しいサービス競争にさらされている業界である。博春が長時間の長距離運転を強いられたのも、このような業界の実情による。

(六) 疲労の蓄積

死亡前数年間の博春は、半病人というのが最もふさわしい状態であった。疲労が極まるとすぐに歯が腫れ、毎日栄養ドリンクを常用し、酒を飲むことでやっと一日を終え、次の日に身体を運んでいた。医者、病院に行かなかった理由は、医者に行けばかなり重い診断が出ることがほぼ確実で、それが怖かったこと及び医者に行く時間さえも取れないほど業務が苛酷だったことである。

(七) 発症前日の業務

博春は、死亡数か月前から、仕事の合間の休日を使って、名古屋方面に営業拡張にしばしば出掛けていた。発症前日の昭和六〇年一一月二四日にも、小牧、関方面まで、雨中を往復約五〇〇キロメートル走行して営業活動を行ったが、結局成果があがらず、落胆して帰宅した。そして、発症当日、かなりの疲労が回復しないまま、過労状態で仕事に出た。

(被告の主張)

(一) 運送下請けの状況

博春は、清水建設株式会社(以下「清水建設」という。)大阪第一機材センター(以下「第一機材センター」という。)の仕事を主にしていたが、同機材センターの専属下請けではなく、ほかに清水建設大阪第二機材センター(以下「第二機材センター」という。)や菱阪包装システムからも仕事を請け負っており、そのほとんどを下請けに回していた状況であった。

(二) 運送した貨物

軽量機械類(一個につき八ないし五〇キログラム)を一回につき一ないし一〇個程度運搬しており、合計重量は三五〇キログラム以内であった。

(三) 貨物の積卸し

所要時間は、いずれも一分ないし一五分程度であり、手伝いの係員がおり、重量物についてはクレーンを使用していた。

(四) 業務従事日数及び休日

日曜・祝日は、原則として休日であり、ほかに土曜日等が休日となる場合もあり、週一日以上の休日が確保されていた。ただし、日曜日に顧客開拓のため愛知県方面に行くこともあったが、後述のとおりこれには業務遂行性が認められない。

(五) 業務従事時間

業務従事時間は、搬送先等により一定しなかったが、自宅を出る時刻は、通常は午前八時過ぎであり、また、帰宅時刻は、建設現場の作業終了時刻である午後五時までに搬入した後帰宅するのが通常であり、原告が主張するように午後八時ころになるのが通常であったと認めることはできない。

5  博春の業務のうち業務遂行性の認められる業務の範囲

(原告の主張)

博春が死亡数か月前から名古屋方面にしばしば出掛けたのは、昭和六〇年五月ころ、古くから清水建設の運送下請けをしていた美原運送が第二機材センターの仕事を扱うことになり、いずれ博春の扱う第一機材センターの仕事に侵入してくることが予想されたため、いつ清水建設の仕事がなくなっても生活ができるように、やむを得ず行った求職活動であり、運転作業に直接附帯する行為といえることは明らかである。したがって、発症前日を含む発症前三か月間における四回の求職活動のための運転業務も基発第六七一号の「事業の範囲内において事業用自動車を運転する作業(運転補助作業を含む)、貨物の積卸作業及びこれらに直接附帯する行為」に該当すると解すべきである。また、休日に行っていた伝票整理業務も、右通達に該当すると解すべきである。よって、4でみた博春の業務はすべて業務起因性の判断の基礎とすべきである。

(被告の主張)

基発第一九一号及び基発第六七一号を本件に適用すると、4でみた博春の業務上の行為のうち業務遂行性が認められるのは、〈1〉貨物運搬のための自動車運転の作業、〈2〉貨物の積卸作業及び〈3〉これらの作業に直接附帯する行為に限定されることになる。貨物の運搬を伴わない単なる顧客開拓のための自動車運転及び伝票類の整理には、いずれも業務遂行性を認めることができない。

6  博春の死因となった疾病の業務起因性について

(原告の主張)

以上の博春の業務実態に2で述べた考え方を適用すれば、博春の死因となったくも膜下出血は、疲労の蓄積に加え、発症前日の営業活動で疲労がつのり、このような過労状態の中で運転業務をしたことに起因するものと認められる。

(被告の主張)

博春の死因は、前述のとおり不明であるが、仮に、くも膜下出血等の脳血管疾患であったとしても、認定基準によれば、業務起因性は認められない。

(一) 発症当日の業務従事状況等について

発症当日の運転作業は、大阪・神戸間を往復しただけであって比較的近距離であり、業務従事時間も八時間以内と長時間ではなく、貨物の積卸作業も軽度のものであったと認められるので、その他作業環境等の諸事情を勘案しても、業務が過重であったと認める余地はない。

(二) 発症前日の業務従事状況等について

発症前日は日曜日で、業務遂行性の認められる貨物の運搬のための運転や積卸作業には従事していない。なお、顧客開拓のための愛知県方面との間の往復には、前述のとおり、業務遂行性が認められない。原告の主張するように、この愛知県方面への往復による精神的・肉体的負荷が特に過重であって発症の相対的に有力な原因となっているとすれば、業務遂行性が認められる業務と発症との相当因果関係は否定されるべきである。

(三) 発症前一週間の業務従事状況等について

発症の前日及び前々日は業務遂行性が認められる業務に従事していない上、その前五日間の走行距離も通常であって、その他作業環境等の諸事情を勘案しても、その間の業務が過重であったとは認められない。

(四) 発症前一週間より前の業務従事状況等について

念のため、昭和六〇年一一月一日から発症当日までの二五日間の業務従事状況をみても、その間の業務が過重であったとは認められない。

(五) このように、発症前に、血管病変等をその自然経過を超えて急激に著しく増悪させるほどの業務上の過重負荷があったとは到底認められないのである。

そもそも、くも膜下出血等の脳血管疾患は、加齢や通常の日常生活における諸要因により増悪し特段の誘因なくして発症に至ることがほとんどであり、しかも、博春には、喫煙(一日四〇本)や飲酒(日本酒一日二合)など右疾患の危険因子が存在していたこと、四五才という年齢はくも膜下出血の好発年齢とされていることも勘案すると、博春の血管病変等は、その自然経過により、特に過重な業務に従事しなくても発症し得る状態にあった蓋然性が高いというべきである。

(六) 疲労の蓄積について

仮に、原告が主張するように、博春の走行距離がタクシー運転手の平均走行距離や営業用貨物自動車(小型車)の平均走行距離より長いとしても、他の同種業務従事者の走行距離の平均がその精神的・肉体的な許容限度を意味するわけではないのであるから、博春の業務が疲労が蓄積するほど過重であったということの根拠とはならないし、また、博春が、歯が腫れたり、栄養ドリンクを常用していたとしても、このような事情から疲労が蓄積していたことを推認することができないことは明らかである。

加えて、博春は、毎日、業務終了後自宅に帰り、通常の食事や睡眠を取っており、週一日以上の休日も確保されていたのであり、休日に伝票整理等をすることがあったとしても、前述のとおり、業務遂行性の認められない行為である上、これ自体特に負担になるものではないと考えられる。

以上のとおり、博春の長期間の運転業務従事によって、血管病変等をその自然経過を超えて増悪させるほどの疲労の蓄積があったとは認められないというべきである。

7  発症当日、自動車運転中に気分が悪くなった後の増悪について

(原告の主張)

博春の死因となったくも膜下出血の発症後の増悪は帰宅途上で発生している。帰宅途上で発症し、意識喪失後再びその道を自宅まで帰ってくも膜下出血を急激に増悪させたのであるから、災害的出来事としての本質は明らかであり、この点からも、本件は労災認定がなされるべきである。

(被告の主張)

一般に業務従事中に発症したからといって直ちに業務起因性が認められるものではないことはいうまでもないことである。

三  証拠

本件記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する(略)。

第三争点に対する判断

一  労災保険に特別加入した者の死亡の業務起因性について

労災保険法二七条三号に該当する者として労災保険に特別加入した者は、労災保険法の適用上労働者とみなされ(同法二九条一項三号)、この者が業務上死亡したときは、その遺族は遺族補償給付を、葬祭を行う者は葬祭料を、それぞれ労災保険給付として受けることができる(同項五号、同法二八条一項二号、一二条の八第二項)。

原告は、軽貨物自動車を使用して軽車両等運送事業を行う者(いわゆる赤帽)として(労災保険法二七条三号、同法施行規則四六条の一七第一号)労災保険に特別加入していた博春の妻であるから、博春の死亡が業務上のものであれば、労災保険給付として遺族補償給付及び葬祭料を受けることができる。

そして、労災保険法三一条の委任を受けて定められた労働省令である労災保険法施行規則四六条の二六は、「労災保険法二七条各号に掲げる者に係る業務災害及び通勤災害の認定は、労働省労働基準局長が定める基準によって行う。」としており、右規定に基づき、同局長は、軽車両等運送事業を行う特別加入者の業務上外の認定について、基発第一九一号及び基発第六七一号の二つの労働省労働基準局長通達をもって基準を定めている(〈証拠略〉)。右両通達は、次のような内容を定めている(以下「本件通達」という。)。

「一 軽自動車を使用して行う軽車両等運送事業(通称「赤帽」といわれている。)に係る特別加入者については次の場合に限り業務遂行性を認めるものとする。

イ  軽自動車を使用して行う軽車両等運送事業の範囲内において事業用自動車を運転する作業(運転補助作業を含む。)、貨物の積卸作業及びこれらに直接附帯する行為を行う場合

ロ  突発事故(台風、火災等)等による予定外の緊急の出勤途上

二  業務起因性の判断は、労働者の場合に準ずるものとする。」

本件通達によれば、博春のような特別加入者たる軽車両等運送事業者の場合、その行う業務のすべてが労災保険法における「業務上死亡」の判断の基礎となる業務になるわけではなく、本件通達第一項が規定する業務遂行性の認められる業務に限って「業務上死亡」の判断の基礎とされ、このような業務と死亡との間に業務起因性がある場合に限り「業務上の死亡」と認められ、その業務起因性は労働者の場合に準じて判断されることになる。

労災保険法が特別加入制度を設けた趣旨は、労基法の適用労働者以外の者であっても、その業務の実情、災害の発生状況等に照らし実質的に同法の適用労働者に準じて保護するにふさわしい者については、労災保険への加入を認め、その適用により、労働者に準ずる保護を与えることにあるというべきであるので、特別加入者の被った災害が業務災害として同法により保護される場合の業務の範囲についても、特別加入者の行うすべての業務が含まれるものではなく、右労働者の行う業務に準ずる業務の範囲に限られるものと解すべきである。したがって、本件通達は、このような同法の趣旨に沿って定められたもので、同法及び同法施行規則からの委任の趣旨に合致し、同法の解釈として十分首肯し得るものであるので、以下これに基づいて、本件の業務起因性を検討する。

二  博春の死因

1  博春の死亡に至る症状の経過及び健康状態

(一) 症状の経過

争いのない事実及び証拠(〈証拠略〉)によれば、次の事実を認めることができる。

博春は、発症当日、通常どおり運送業務を行った後、午後三時四五分ころ、第一機材センターで、翌日和歌山の現場へ搬送する荷物を業務用軽貨物自動車に積み込み、自宅に向かった。午後四時過ぎ、自宅近くに至り、ガソリンスタンドで給油をしたが、その後気分が悪くなり、自動車を止めてしばらく休んだ。回復した後、再び自動車を運転して、午後八時ころ自宅付近の駐車場に着いたが、自動車から降りると、つまずくようにして倒れ、その場に居合わせた原告らに抱えられるようにして自宅に入った。その際、博春の意識ははっきりしており、原告に対し、気分が悪くなり車内で吐いたこと、車を止めて車内で休んだら少し楽になったので車を運転して帰ってきたことなどを述べた。その後、隣人の自動車で星田南病院に運ばれ、車中、頭痛や吐き気を訴えた。午後九時三〇分ころに病院に着いてから、すぐに診察を受け、全身倦怠感強度、起立不能という所見であったが、意識ははっきりしていた。その後酸素吸入、点滴を施行されたが、急速に血圧降下、顔面蒼白、呼吸困難、意識喪失、振戦をきたし、翌二六日午前四時五分に心停止となり、心マッサージを受けたが午前四時三九分に死亡した。

(二) 健康状態等

証拠(〈証拠略〉)によれば、次の事実を認めることができる。

博春は、体格、栄養とも中程度で、日ごろ病院に通うことはなかった。既往症としては、三〇才代に肝臓を悪くして治療を受け、昭和六〇年八月の星田南病院における血液検査でも慢性肝炎を疑われて精密検査を指示されたが、検査は受けなかった。死亡の二、三か月前から顔が腫れたが、歯科に行って歯石を取ってもらった結果腫れは引いた。血圧が高かったかどうかは不明である。

博春は、タバコを一日に約四〇本吸っており、酒は、一日に二合を飲んでいた。

2  博春の死因についての医師の意見

(一) 診断書の記録(〈証拠略〉)

医療法人和敬会星田南病院長の南勝医師が作成した診断書には、直接死因は脳卒中と記載され、その他の身体状況として慢性肝炎という記載がある。「死亡に直接関係ある既往症」の欄には、「特に認められないが、極度の過労、疲労が推定される。」との記載がある。

(二) 田尻俊一郎医師の意見(〈証拠略〉)

社会医学研究所長の田尻俊一郎医師は、その意見書及び証言において、博春の死因は嚢状脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であるとし、その理由としておおむね次のように述べる。

博春については、〈1〉四五歳という年齢はくも膜下出血の好発年齢である、〈2〉髄膜症状・頭蓋内圧亢進症状である頭痛、嘔気、嘔吐を伴っている、〈3〉一過性の意識障害がみられる、〈4〉初発症状後(初回発作後)、数時間にして再び意識の混濁を惹起するとともに、その他の症状の悪化をきたしたのは、脳動脈瘤の再破裂だと考えられる、〈5〉局所脳神経症状(巣症状)を伴っていなかった点は、脳内血管の破裂の可能性が少ないことを物語っているなどの諸点から、CTスキャンや脳脊髄液の所見が得られていないので断定はできないが、医学常識的にはかなりの高い確度で、くも膜下出血との判断が可能である。特に、むかつき、嘔吐、軽い意識障害が先行し、これがいったん回復した後に再び意識障害などの発作を来たし、ついに死亡に至っている博春の発症状況は、再発での死亡が圧倒的に多いくも膜下出血の症状に合致する。

くも膜下出血は、症候性(二次的)に外傷、脳腫瘍、血液疾患その他に起因して起こることもあるが、一般にくも膜下出血というときは、特発性ないしは原発性くも膜下出血のことを指す。この中には、脳動脈瘤破裂によるものと、脳動静脈奇形によるものとがあるが、動静脈奇形によるものは全くも膜下出血の六パーセントを占めるに過ぎないとされており、症状の上でも、局所症状を伴い、痙攣をおこすことが多いなどの特徴があるとされている。博春の場合、全くは否定できないにしても、比較的に特異性を持つとされる症状である局所症状や痙攣などが認められておらず、脳動脈瘤破裂によるものとみるべきである。

脳動脈瘤には、嚢状動脈瘤、動脈硬化性、敗血症性、解離性のものなどがあるが、くも膜下出血の九〇パーセント以上は嚢状動脈瘤であるとされているので、結局、博春の死因は嚢状動脈瘤破裂によるくも膜下出血というべきである。

(三) 白井嘉門医師の意見(〈証拠略〉)

大阪労働基準局地方労災医員の白井嘉門医師は、昭和六一年九月四日付けの意見書においては、「CTスキャン検査、脊椎穿刺等の諸検査は行われていないが、院長が遺族に申し述べた様に本症が蜘蛛膜下出血であろうとしたことは肯絮に値する。即ち先天的畸形として脳動脈分岐部に発生したる脳小動脈瘤が不知不識の間に膨隆し、遂に破綻して生じた脳卒中と理解し得る。」「即ち本症は既存の脳小動脈瘤の偶発的破裂と考えるのが妥当であろう。」などと述べていたが、昭和六三年一月二三日付けの意見書においては、おおむね次のように述べる。

適確な診断のためには、髄液検査、CTスキャン検査、脳血管撮影検査、開頭所見等を要するが、臨床所見のみによってくも膜下出血の診断をすることも全く不可能ではなく、博春の場合、発症から死亡までわずか一〇時間余で、その間危篤状態が続き、その症状の急激であったこと、嘔心、嘔吐、軽い意識障害等の髄膜症状が先行していたことから、救命医療に当たった医師がくも膜下出血と診断したことは十分理解できる。しかし、詳しく検討すると、診療録には、初診から死亡に至るまで、脳卒中又は脳血管障害を疑うような臨床症状、ことに神経症状についての記載が何もない。本症は単純に脳血管障害のみではなく、又単純に慢性肝炎(博春は肝疾患を有していたことが十分に考えられる。)の激症化のみでもないようであり、何らかの不明の因子によって本症が発症したと受け取られる。大阪労災病院の小林医師の指摘に同意する。

(四) 南勝医師の意見(〈証拠略〉)

死亡診断書を作成した南勝医師は、博春の死亡当時、原告に対し、博春の病名はくも膜下出血であると説明したが、昭和六二年一〇月一二日に行われた大阪労働者災害補償保険審査官による調査に対しては、診療を担当したのは当直医であるので初診時の状況は詳しくは答えられない、白井医師の昭和六一年九月四日付けの意見書に同意する旨回答した。

(五) 小林敬司医師の意見(〈証拠略〉)

大阪労災病院の小林敬司医師は、その意見書において、おおむね次のように述べる。

博春については、病理解剖は行われておらず、かつ、入院時は診療時間外受診でもあり、諸検査特に頭部CT検査を始め、髄液検査、神経学的検査、生化学検査等が施行されておらず、明確に死因を判断することは困難である。医証、特に診療録を参考にすると、脳血管障害(脳卒中)にかかわる記載は一切なく、死亡直前に肝性昏睡を疑うような記載があるが、臨床経過を振り返り、病状の進展経過の速いことなどから、肝性昏睡(肝臓死)ではなく脳血管障害(脳卒中)であると判断されたものと考えられる。このように診療処置に当たった医師でも診断に苦慮するような進行であり、星田南病院に残された検査資料によると、急性心筋梗塞も否定され、既往歴にある肝疾患による死亡も、経過の速さにかんがみて否定的に解さざるを得ず、明確な死亡原因は不明であるといわざるを得ない。したがって、臨床経過をかえりみて脳血管障害(脳卒中)によるものではないかと推測することはできるが、個体の特発的な変化、代謝系、ホルモン系の急性機能不全、その他何らかの原因による急性循環不全(ショック症候群)等も十分に考えられる。

3  検討

(一) 右の各医師の意見によれば、博春について、的確な医学的検査が行われていないため、医学上の資料が不足しており、その死因を明確に判断することは医師にとっても不可能であって、同人の死因は、その症状の経過等外部に現れた断片的な事実に医学経験則をあてはめて推測することによってしか判断することができないものであることが認められる。そこで、症状の経過等から判断して博春の死因がくも膜下出血であるとするのは、田尻医師の各意見書及び証言並びに白井医師の昭和六一年九月四日付け意見書であるが、白井医師は、昭和六三年一月二三日付け意見書においてその意見を変更しているので、結局、博春の死因が嚢状脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であるとする原告の主張に沿うものは、田尻医師の各意見書及び証言のみである。以下、田尻医師の右意見及び証言について検討する。

(二) 田尻医師は、博春の死因を検討するに当たって、まず、博春のような年齢の男性に急激な症状の変化によって発症する疾病のいくつかを念頭に置き、その中でどの疾患が博春の症状を最も無理なく説明できるかという点と、博春の症状に合わない疾病を除外するという両方の側面から推論しなければならないという。そして、くも膜下出血については、文部省総合研究班の診断基準(〈証拠略〉)に依拠し、前述の〈1〉ないし〈5〉の諸点から、博春は右の診断基準に適合すると説く。他方、他の疾病の可能性については、小林医師が指摘する急性循環不全(ショック)のうちの多くは心筋梗塞と高度の不整脈であるが、心筋梗塞は、博春が激しい胸の痛みを訴えていないこと、博春は最初のアタックから再発までに一定の回復をしているが、心筋梗塞では一時的に軽くなるということがほとんどないことから、否定され、高度の不整脈も、文字どおりの突然死という形を取ることが多く、これも博春の症状の経過には当てはまらないので否定されるとする。そして、脳卒中のうち、脳内出血と脳梗塞については、脳梗塞は、高齢者に多いこと、症状の完成までに長い時間がかかることから、博春には当てはまらないので否定されるし、脳内出血については、前記の〈5〉の点のほか、博春に高度の高血圧がなかったと思われることから、否定されるとする。最後に、肝昏睡についても、前日に自動車で長い距離を運転できた博春がいきなり肝昏睡を起こすというのは不自然であるとして、これも否定されるとする。

(三) すすんで、1で認定した事実に基づき、右の田尻医師の意見及び証言を検討する。

まず、博春の健康状態等については、同人が日ごろ病院に通っていなかったこともあり、その死因の判断に直ちに参考になるような事情を認めることができない。

次に、博春が帰宅途中の車内で気分が悪くなり、いったん車を止めて休んだ後、自宅に向かい、そこで倒れたという経過は、田尻医師の強調する、くも膜下出血の症状の経過に適合する部分があると見る余地もないではない。しかし、帰宅途中に気分が悪くなったのが最初の発作であったとすると、博春が原告に対し、吐いたことは述べたのに頭痛があったとは述べておらず、外に、この時博春に激しい頭痛があったことを認めるに足りる証拠はないのであるから、田尻医師も依拠する文部省総合研究班の診断基準の第一に挙げられている「起始は激しい頭痛」という要件に博春の症状が当てはまることを認めることができない。また、前記認定のとおり、自宅に帰りついてから後、博春が頭痛を訴えた事実は認められるが、くも膜下出血の場合に一般にいわれる「突然起こる激烈な頭痛」(〈証拠略〉)といえるほど程度の激しい頭痛があり、これを訴えたものと認めるに足りる証拠はない。もっとも、原告は、本人尋問において、博春は、倒れた後、頭が切れたように痛いと訴えた旨供述するが、労働基準監督署での労災保険給付請求の手続から本件訴訟に至るまで、原告がそのような供述をしたことを示す資料がないことに照らし、右供述を直ちに採用することはできない。そうすると、博春については、田尻医師も依拠する文部省総合研究班の診断基準(六項目からなる。)のうち、「局所脳神経症状の欠如」、「意識障害は一過性」という二項目のみが認められるにとどまるのであるから、博春の死因をくも膜下出血であると認定するには不十分であるといわざるを得ない。

よって、田尻医師の右意見及び証言によっても博春の死因がくも膜下出血であると認めるには足りず、外にこれを認めるに足りる証拠はない。

4  結論

以上によると、博春の死因が嚢状脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であるとする原告の主張は採用することができず、ほかに博春の死因を明らかにする証拠もないから、結局、博春の死因は不明であるというほかなく、したがって、博春の死亡と業務との間に相当因果関係は認められず、博春の死亡に業務起因性を認めることはできないといわざるを得ない。

よって、その余の点について判断するまでもなく、博春の死亡が業務に起因するものと認められないとした被告の本件処分は正当である。

三  仮に、原告主張のとおり、博春の死因が嚢状脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血であると仮定した場合において、その死亡に業務起因性が認められるかどうかを、念のため検討する。

1  脳動脈瘤の破裂の原因

(一) くも膜下出血の発症原因については、脳血管の潜在的な脆弱部位において、長期的かつ重大なストレスとなるのは、その患者の血圧であると考えられ、慢性的ないしは急激な血圧上昇を引き起こすような外的因子によって、脆弱部位の弾性の限界点を超えての出血が促進されるとするもの(〈証拠略〉)、脳動脈瘤の破裂原因としてもっとも考えられやすいのは、脳血管自身の加齢現象と血圧の関与であるが、この問題の解明は将来の課題であり、高血圧の関与ひとつを取っても諸説があり、一過性血圧上昇による動脈瘤破裂の可能性を指摘するもの(ロクスレー)から、これを否定するもの、さらにはバルサルバ操作(息を止めて腹圧をかけるような動作。〈証拠略〉)終了後や仰臥位から立位をとったときのように、血圧が一過性に上昇すると同時に、髄液圧が下降し、両者間の圧差が大きくなることが重要であるとの意見までいろいろであるとするもの(〈証拠略〉)がある。

また、「脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議」の報告書に基づき作成された認定基準(〈証拠略〉)は、〈1〉業務による明らかな過重負荷を発症前に受け、〈2〉過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が、医学上妥当なものである場合は、そのくも膜下出血は業務に起因する疾病(労基法施行規則別表第一の二第九号)として取り扱うこととしている。

(二) 以上によると、過重な業務は、血圧の変化を引き起こすことによって、脳動脈瘤の破裂の原因になるという見解が有力であり、以下、この見解に立って、博春の業務と脳動脈瘤破裂の相当因果関係の有無について検討する。

2  博春の職歴及び業務の状況

(一) 博春の職歴

争いのない事実及び証拠(〈証拠略〉)によれば、次の事実を認めることができる。

博春は、以前、弱電関係の会社の営業等をし、その後独立したが、昭和五〇年からは焼却炉を扱う会社に勤めて営業を担当した。昭和五四年に怪我をして入院、リハビリをしたのを機に会社を辞め、昭和五五年から、「赤帽竹村運送店」の名称で、交野市の自宅を事務所として、自己所有の軽貨物自動車を使用して軽車両等運送事業(いわゆる赤帽)を始めた。

(二) 博春の業務内容の概略

争いのない事実及び証拠(〈証拠略〉)によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 博春は、軽車両等運送事業を始めた当初は、赤帽の組合を通じて得た仕事など種々の仕事をしていたが、昭和五七年からは、第一機材センターの発注を受け、建設資材を同センターから主に近畿二府四県の清水建設の建設現場に自ら運搬することが業務の中心になった。他方、同センターの方も、昭和六〇年当時、主に取引をしていた運送業者は博春であり、博春は発注数の約六割を占めていた。

博春が第一機材センターとの間の契約に基づき行った業務は、おおむね次のとおりである。

同センターは、月曜日から金曜日までは午前八時三〇分から午後五時まで、土曜日は午前八時三〇分から正午まで営業し、日曜日、祝日及び第二、四土曜日が休日であり(第二、四土曜日は必要に応じて営業することもあった。)、休日に博春に発注することはほとんどなかった。したがって、博春の運送業務は、朝自宅を出発して当日の夜に帰宅するという一日単位の業務であり、日曜日、祝日は原則として休日であった。同センターは、ポケットベルにより博春を呼び出し、搬送する荷物の内容、搬送先、期限等を告げた上、発注することとしていた。搬送する荷物は、主に分電盤であり、重さは、一個当たり八ないし五〇キログラムであった。その他に、レベル、トランシット、スイッチボックスなどの軽量機械類も搬送した。それらの重さは一個当たり八ないし二〇キログラムにわたった。一回に搬送する個数は、一ないし一〇個程度であった。荷物の積卸しは、通常は博春自身が手作業により行うが、同センターでの荷積み、特に一個三〇キログラム以上の重い荷物の荷積みについては、係員が手伝うこととされており、必要に応じてクレーンを使用することもあった。建設現場では、博春が一人で荷卸しをしなければならないことがしばしばあった。建設現場への搬送は、午後五時までにすませるのが原則であったが、午後五時を過ぎる場合もあった。朝一番、午前八時までに建設現場へ搬送しなければならないときもあり、その場合は、前日に同センターで荷積みをした。これも通常は午後五時までにすませるが、午後七時ころまでかかることもあった。

(2) 博春は、第一機材センターのみと取引をしていたわけではなく、その外に、第二機材センター、菱阪包装システム株式会社、星友化工株式会社、南都工業、積菱包装株式会社などとも運送契約を結んでいたが、これらの取引先の荷物は、自ら運送することなく、他の赤帽に下請けに出すことが多かった。また、富貴堂という門真市所在の和菓子屋の荷物を、難波まで、週に二、三回、早朝に自ら搬送することもあった。

(3) 前記のとおり、第一機材センターの仕事は、日曜日、祝日が休日であったが、博春は、この休日にも仕事をすることが多かった。第一に、伝票の整理は、休日の仕事であり、自ら運送したものについても、下請けに出したものについても、休日にまとめて整理をしたので、休日の半日を伝票の整理でつぶし、外出もままならないのが通例であった。第二に、昭和六〇年五月、第一機材センターのもう一方の発注先である美原運送が、軽自動車を三台増やし、同センターからより多くの仕事の発注を受けようとする姿勢を示したため、博春は、美原運送に同センターの仕事を侵食されることを危惧し、休日を使って、新しい取引先を開拓するために、業務用の軽貨物自動車を自ら運転して名古屋方面に出掛けることがあった。

(三) 博春の運転走行距離及び運転時間(特に死亡前三か月間について)

(1) 業務用軽貨物自動車の運転走行距離

ア 博春は、昭和五九年九月一日に軽貨物自動車を購入し、これをもっぱら業務に使用していた。昭和六〇年一〇月八日時点での同車の走行メーターは七万五二八四キロメートルを示しているので、博春が、昭和五九年九月一日から昭和六〇年一〇月八日までの約一三か月間に同車を使用して走行した距離は、右のとおりであると認めることができる(〈証拠略〉)。

イ 博春が、その業務用軽貨物自動車を使用して、毎日どの程度の距離を運転走行していたのかについては、これを明確に示す証拠がないので、残された資料から推計するほかない。証拠(〈証拠略〉)によれば、労働保険審査会が本件に関する裁決(〈証拠略〉)の中で行った博春の走行距離の推計は、合理的なものと認められ、おおむね信用性があると判断することができ、かつ、当事者双方とも、右推計方法を積極的に争わないので、当裁判所も右推計を採用する。これによると、昭和六〇年九月一日から死亡当日までの博春の業務用軽貨物自動車の使用状況、すなわち自らこれを運転した日及びその走行距離は、別表(略)記載のとおりとなり、一日当たりの平均走行距離は約一八六キロメートルとなる。

(2) 業務用軽貨物自動車の運転時間

博春がその業務用軽貨物自動車を運転していた時間が一日当たりどの程度であったかについても、これを明確に示す証拠がない。労働保険審査会は、本件に関する裁決(〈証拠略〉)において、博春が生前原告に対し述べていた「(業務従事時間は、)走行距離が二五〇キロメートル以内の場合は一二時間、三〇〇キロメートルの場合は一三時間、三五〇キロメートルの場合は一四時間」という言葉を手掛かりとし、右時間のうち約一時間は休憩に使われているとして各一時間を差し引き、「博春の業務従事時間は、走行距離二五〇キロメートルまでは一一時間以内、二五〇キロメートルを超え三〇〇キロメートルまでは一一時間超一二時間以内、二五〇キロメートルを超え三〇〇キロメートルまでは一二時間超一三時間以内、三五〇キロメートルを超えるときは一三時間超」という基準を立てた上、これを前記のように推計して算出した各日の走行距離に当てはめて、各日の運転時間を推定している。右の推定は、その基礎となった博春の言葉が、客観的な資料に裏付けられたものではなく経験に基づくおおまかなものに過ぎないと考えられる点で、正確性に疑問がないとはいえないが、外によるべき資料もないのでこれに従わざるを得ないというべきである。これによると、博春が業務用貨物軽自動車を運転した時間は別表記載のとおりとなる。

(四) 発症の前日から死亡に至るまでの状況

争いのない事実及び証拠(〈証拠略〉)によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 発症前日である昭和六〇年一一月二四日は日曜日で、第一機材センターの仕事はなかったが、博春は、新しい取引先を開拓するため、業務用軽貨物自動車を自ら運転して名古屋方面(小牧、関)に出掛けた。午前七時ころに自宅を出発して午後八時ころに帰宅し、走行距離は約三一五キロメートルに及んだ。夕食は普通に取り、いつもどおり酒二合を飲み、風呂に入り、午後一二時ころ就寝した。

(2) 一一月二五日は、博春は午前七時ころ起床し、原告に対し、「しんどいなあ。」などと述べたが、いつもどおり朝食を食べて、午前八時前ころに自宅を出発し、第一機材センターに向かった。

博春は、通常どおり運送業務を行った後、午後三時四五分ころ、第一機材センターで、翌日和歌山の現場へ搬送する荷物を業務用軽貨物自動車に積み込み、自宅に向かった。その後の状況は、前記二1で認定したとおりである。

3  博春の業務のうち労災保険法の適用上業務とされるものの範囲(業務遂行性の認められる業務)

一で判示したところによれば、右2において認定した博春の業務のうちのすべてに業務遂行性を認めることはできず、博春の右業務のうち、業務遂行性を認めることができるのは、〈1〉博春がその業務用軽貨物自動車を自ら運転して荷物を運搬した作業、〈2〉その荷物の積卸作業、〈3〉これらに直接附帯する行為としての、これら荷物についての伝票整理作業の三種類に限られると解すべきであり、これ以外の作業、すなわち、〈4〉博春が新しい取引先を開拓するためにその業務用軽貨物自動車を自ら運転使用したこと、〈5〉下請けにまわした荷物についての伝票整理作業には、業務遂行性を認めることができない。

したがって、別表のうち、昭和六〇年九月一五日、同年一〇月一三日、同年一一月三日、同月二四日の各日曜日(別表中走行距離を括弧で囲んである日)における自動車の運転には、業務遂行性を認めることができないし、また、博春が休日に行っていた伝票整理作業のうち、下請けにまわした荷物についての伝票整理作業にも業務遂行性を認めることができない。もっとも、(証拠略)によれば、博春が下請けにまわしていた荷物の量は、自ら運搬した荷物の量に比べると相対的にかなり少なかったものと認められ、しかも、死亡前数か月間においては、下請けにまわす荷物の量は更に減っていたものと認めることができる。

被告は、伝票整理作業はすべて業務遂行性が認められない旨主張するが、博春自らが運搬した荷物についての伝票整理作業は、運搬作業に必然的に伴わざるを得ない作業であるから、「直接附帯する行為」として業務遂行性を認めるのが相当である。これに対し、博春が下請けに出した荷物の伝票整理作業は、博春の運搬作業に附帯するものではないから、業務遂行性は認められない。

原告は、右〈4〉の取引先開拓のための自動車運転も、「直接附帯する行為」として業務遂行性を認めるべきであると主張する。しかし、博春の行った取引先の開拓は、営業主がその立場において行った営業活動との性質が強いのであるから、このような業務に業務遂行性を肯定することは、労働者に準じて保護すべき場合に労災保険給付を行うものとする前判示のような特別加入の制度趣旨に反するものというべきである。加えて、右取引先の開拓は、その作業の性質上、業務用軽貨物自動車を運転することが通常であるとはいえないのであるから、これを「業務用軽貨物自動車を運転して荷物を運搬する作業に直接附帯する行為」ということはできない。

4  博春の死因が脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であると仮定した場合のその発症の業務起因性

(一) 以上に基づき、博春の業務のうち業務遂行性が認められるもの(3の〈1〉ないし〈3〉)が、嚢状脳動脈瘤破裂の相対的に有力な原因になったといえるかどうかについて判断する。

博春の日常業務をみると、発症前約三か月間において、平均して一日当たり約一八六キロメートルという長距離を走行しており、これはそれ以前もほぼ同様であったと考えられるが、その程度の距離であれば、業務従事時間は一一時間に達しないこと、荷物の積卸作業は、一回の搬送について、一個当たり八ないし五〇キログラムのものを一ないし一〇個積卸ししていた点で、必ずしも軽い作業とはいえないが、建設現場においては博春が自ら手作業で行わなければならないことがしばしばあったものの、第一機材センターでは係員が手伝うことになっていたことから、博春自身の作業がそれほど重いものであったとはいえないこと、原則として日曜日と祝日は休日であって自動車運転作業をしなかったこと、休日は伝票整理作業をしなければならないことが通例であったものの、その作業自体半日ほどですむものであり、過重な作業とはいえないことを総合すると、これらが脳動脈瘤破裂をもたらすほど過重な作業であったとはいえないというべきである。

次に、昭和六〇年九月から一一月までの発症前約三か月間についてみると、一日の業務従事時間が一一時間を超える日が月に四ないし六日、一二時間を超える日が月に一、二日あるが、おおむね一日一一時間以内となっており、そのうち多くが、一日の走行距離一五〇キロメートル以内におさまっている。この間、九月一日を除いて、日曜日と祝日には自動車運転業務に従事しておらず、これ以外に、九月一四日、同月二八日、一一月五日も、運転業務に従事していない(前述のとおり、九月一五日、一〇月一三日、一一月三日、同月二四日の各日曜日の自動車運転には業務遂行性を認めることができない。)。

発症直前についてみても、一一月二三日、二四日は自動車運転業務に従事しておらず(二四日の自動車運転に業務遂行性を認めることができないことは前記のとおり)、同月一八日月曜日からの週も、二一日と二二日にそれぞれ走行した二二四キロメートルが平均より長い走行距離であるのみで、しかも、これとて、平均走行距離の一八六キロメートルを大幅に超えるものとはいえない。

発症当日も、いつもどおり業務に従事し、運転走行距離は四二キロメートルにとどまり、午後三時四五分ころには第一機材センターの仕事を終えて自宅に向かっている。

以上によれば、博春の業務のうち業務遂行性が認められるものについてみると、日常業務は特に過重なものであったとはいえないし、発症前の業務も、特に過重な内容であったとはいえず、脳動脈瘤破裂の相対的に有力な原因になったとはいえないというべきである。

他方、博春が発症前日に、取引先開拓のため、その業務用軽貨物自動車を運転して名古屋方面まで約三一五キロメートルという長距離を走行していることから、この業務遂行性の認められない運転行為が脳動脈瘤破裂の相対的に有力な原因になったと考える余地もあるし、また、タバコ及びアルコールがくも膜下出血のリスク・ファクターであるといわれていること(〈証拠略〉)からすると、前記のとおりタバコを一日に約四〇本吸い、酒を一日に二合飲んでいた博春は、業務の影響がなくてもくも膜下出血を発症した可能性も少なくないものというべきである。

(二) 南医師は、診断書に「極度の過労、疲労が推定される。」と記載したが、その根拠は不明であり、これによって発症の業務起因性を認めることはできない。

また、田尻医師は、その昭和六二年五月三一日付け意見書(〈証拠略〉)及び証言において、発症が業務に起因する旨述べる。しかし、右意見書においては、博春の業務実態を、前記の認定事実より大幅に超過するものとし、かつ、休日の取引先開拓のための自動車運転も業務に含めた上で判断するなど、その前提が大きく異なるし、証言においても、博春の業務実態に即した説明が行われているわけではないから、これを採用することはできない。

5  博春の死因が脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であると仮定した場合の、発症後の増悪の有無及び増悪があった場合のその業務起因性

原告は、博春は、帰宅途上で発症し、意識喪失後再びその道を自宅まで帰ってくも膜下出血を急激に増悪させたものであるとし、発症後の増悪は業務に起因するものであると主張する。

前記認定の事実によると、博春は、昭和六〇年一一月二五日、その業務用軽貨物自動車で帰宅途中、午後四時過ぎに自宅近くのガソリンスタンドで給油した後、気分が悪くなり、午後八時近くまで自動車を止めて休息を取ったこと、帰宅後、このことに関して、原告に対し、気分が悪くなり車内で吐いた、車を止めて休んだなどと述べたことを認めることができる。

右の事実によれば、帰宅途中の車内で気分が悪くなったことをくも膜下出血の発症であると認めるとしても、意識を喪失したと認めるべき証拠はないし、右発症後急激に増悪したことを認めるに足りる証拠もないから、原告の主張は採用することができない。

田尻医師は、平成三年三月一五日付け意見書(〈証拠略〉)において、発症後の増悪が業務に起因するかのような意見を述べるが、前提が右と異なるから、採用することができない。

したがって、業務が発症後の増悪の相対的に有力な原因になったということもできない。

四  結論

以上の次第で、博春の死因は不明であり、業務との間に相当因果関係を認めることはできないし、仮に、博春の死因が原告の主張する嚢状脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であるとしても、業務がその発症の相対的に有力な原因であるとはいえず、また、発症後の増悪の相対的に有力な原因であるともいえないから、いずれにしても、業務と死亡との間に相当因果関係を認めることはできない。したがって、博春の死亡が業務上のものでないとした被告の本件処分は正当であるから、原告の本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官 松山恒昭 裁判官 大竹たかし 裁判官 倉地康弘)

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